気管切開&人工呼吸器装着

いよいよその時が来ました。
主人も我慢の限界がきたようでした.。

息苦しい日が続き夜中に 「車椅子に乗せて」 と言っては、一人でテレビを見て起きていることも度々ありました。

自分から 「気管切開をする」 と言い出し、1時間半程で手術は終了しました。

どんな心境だったのでしょう。私は比較的冷静だったように思います・・・。
”冷たいハートなのかな?”

すでに気管切開し、自宅療養されている方から楽になるからと聞いていたのですが、相変わらず真上を向くととても苦しがり、寝返りをさせると傷口が痛みほんとうに可哀想に思いました。

手術した翌日文字盤で 「死にたい」 と初めて弱音を見せ、私は 「今まで頑張ってきたんだから頑張ろうよ!」 と答えるのが精一杯でした。
二人で涙が止まりませんでした 

それから毎日定期的に人工呼吸器を装着し、早く自発呼吸と仲良くなれるように練習の日々が続きました。
徐々に慣れてきましたが 笑顔がなくなりとても心配でした。

友達や兄弟がお見舞いに来てくれると涙ぐみ、看護師さんにシャンプーをしていただき 「ありがとう」 と言っては涙ぐみすっかり涙腺がゆるんでしまったようです。

3週間ほど過ぎたころ、やっと笑顔がみられるようになりホットしました。

声を失った主人が心配で、毎日病院に泊り込み付き添いをしました。
入浴しに帰宅するときや用事があるときは子供に付き添いを頼みました.。
ですから、私の食事はいつも売店と病院の食堂ですませました。

そんな時、友達が温かな手作りの食事を度々届けてくれました。
病室でいただきながらごちそうの上に涙がこぼれ落ち、お腹も心もいっぱいになりました。
ほんとうに温かい心、優しい心に感謝しています。

主人が入院中のある日、ALS協会群馬県支部長のKさんが表情筋で操作できる意思伝達のひとつである、タッチブザーを送ってくれました。
当時主人は鈴を使っていました。
そのため、なかなか思うように振ることができず困っていました。

早速、額に装着して試運転 『ピコピコ、ピコピコ』 おもわず主人ニッコリ、ほんとうに助かりました。

今でも主人の体の一部として活躍してくれています。

12月5日 まちにまった退院日です。
50日ぶりの我が家です。

病院の救急車で送っていただきました。

主治医、看護師をはじめ行政や医療関係者等々大勢の方々に見守っていただきながら、、、、、。
このうれしい退院日はとても神経が高ぶり昼も夜もあまり眠りませんでした。

皆様のお陰で自宅療養の始まりです。